百年企業(家業)のひとりごと

 

 

日本は百年企業が多く、3万社弱あるといわれています。これは、世界の百年企業の4割を占めているそうです。 
 
大谷呉服店は、 
令和2年、現在地(御坊市松原通り)での創業が、百周年に至りました。当家が、呉服商に携わったのは明治39年(1906年)です。大正9年(1920年)3月15日に現在地での店舗を構えました。 
大正期から昭和初期の好景気の中、業績を伸ばし、呉服商を基盤に多店舗多角化し、洋反部、洋品舶来品部、輸入食品部、婚礼家具部などを商う「株式会社大谷ストーア」を昭和7年に設立致しました。この会社の洋館建築が平成17年まで現存していました。令和の現在は創業時の呉服専門店となっております。 社名のストーアは当時、英語から訳したため長音「ー」の位置が現在の一般表示と異なります。 
 
 
当家の発祥は、紀伊国 日高郡 丹生村 大字和佐 (現在の和歌山県日高川町和佐)であり、この地の山王神社「山王権現社」の祭祀をしておりました。 
紀伊國名所図絵にも山王権現社の記載があり、文禄2年(1593年)の唐櫃の伝来など記されております。
室町幕府将軍足利氏の直参奉公衆であった当地の手取城主玉置氏が、猿田彦大神を勧請した山王権現社を造営しました。その神社祭祀の社家として、京から大谷家の先祖が招かれたそうです。 
この神社は、明治政府の神社合祀令にともない江川八幡神社(丹生神社)に明治39年に合祀されています。 
そして、御坊に居を移した際、その屋敷地にも社を構え、現在に至っております。

 

 


 

 

 薫風

『薫風自南来』

くんぷうみなみよりきたり

さわやかに渡る風に季節を感じます。

弊店では、例年この時季に東大寺二百三世別当の上司海雲〔1906〜1975  かみつかさ かいうん〕の書の額装を床の間に飾らせて頂きます。

 

 
 
 

 

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4月3日の大谷家雛飾り

紀州御坊では旧暦風の月遅れでの雛祭りです。
菖蒲の節句も6月5日です。

左のお雛様は、大正時代の屋根付きの御殿飾りの雛を卓に飾りました。
右のお雛様は、昭和初期の内裏雛です。冠卓に飾っています。
右端の御神酒徳利は、白磁に絵付けで、若松や白梅、幕飾り柄で江戸末期の作です。
花入に見立て桃の花を生けました。
掛軸は、紀州出身の絵師、湯川松堂による立雛図で大正時代の作です。
紫幕は、縮緬生地に紀州藩領伊勢型紙の小菊散らし文様です。
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紀州御坊の正月 雑煮について

 

<pre>日本各地のお雑煮は、伝統や食文化圏、そして同地域でも各家の歴史的背景により差異があります。
紀州御坊大谷家では、白味噌とかつおダシの汁に白丸餅を入れて川の青のりをかけます。
現在では、里芋、大根、人参なども丸餅と共に添える家庭が一般的です。
古くからの材木商や旧家では白丸餅のみの伝統を守っています。

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山王神社
神楽歌

舞の谷 紀州
日高の里にけれ
双鶴や 谷にまいおる
千代八千代

 
 
 
 

 

大谷家菩提寺の話

令和3年10月30日付日高新報新聞記載

「日高地方の寺社の宝」

日高川町 和佐の生蓮寺には、手取城主、玉置権守直和公の尊像と位牌がある。この寺は大谷家の菩提寺でもある。

 

 

 

 


 

 

<pre>「昔の手ぬぐい」</pre>

 

<pre>2023年夏にお客様から、「大谷呉服店の手拭いをよかったら、もらって下さい」と持参されました。

わたくしも、1970年頃に作成した白地の弊店手拭いは見たことがありましたが、浅葱色、または紺地色は初めて見ました。
これは、叔父が慶應義塾大学 学生で美術部に所属していた頃にデザインしたとわかり、確認しましたら、1965年(昭和40年)の作成。
今から58年前の品とわかりました。
使用して頂きましたお客様に感謝とともに木綿生地の手拭いの強さも思いました。

記載の株式会社大谷ストーアには、大谷呉服店を母体に、個店専門店での多角化をしていました。
呉服部、洋反部、婦人服洋品部、寝具部、婚礼家具部、輸入食品部などがありました。


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